・農に関する話題や思うこと、言いたいことなど、語り合いましょう。
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麦の子(福岡県) (金曜日, 06 9月 2024 12:31)
瑞穂の国の日本でいま、お米が不足しているとは、どういうことでしょう!
まもなく稲穂が垂れて収穫の時期がやってきて、新米が登場することでしょう。
とはいえ現在の米不足には、何か人為的なものさえ感じますが、いつの間に、だれがこんな日本にしてしまったのかと言いたいです。
ジャポニカ米を外国で栽培して輸入すればいいという農民無視の発想。現に外食産業では外米を使ってるそうですが、一般家庭もそうさせようということでしょうか。田畑はあるのに、もっと荒れ放題にさせたいのでしょうか(怒)
麦の子(福岡県) (木曜日, 15 8月 2024 00:57)
工藤様。
ご訪問ありがとうございます。話題提供、大歓迎ですよ。
暑いせいでしょうか、最近ちょっと閑古鳥が鳴いていて・・・寂しいです。
思っておられることをどしどし書いて、交流の場を盛り上げましょう。
工藤篤 (水曜日, 14 8月 2024 12:57)
初めての参加です。
宜しくお願いします。
きしゅう(栃木県) (月曜日, 01 7月 2024 13:47)
麦の子さま
私も子どものころ、麦踏をしました。手を後ろで組んで、いくらか肩を揺らしながら、一定の調子で踏んだのを覚えています。
それにしても気になるのは、戦争が農地も人も建物も荒らしていることです。農業国のウクライナは、農業どころではなくなっているのだろうか。スーダンは?・・・等々。ニュースで被害の様子が伝えられますが、食の被害は命の存続を大きく脅かします。
歌仙は、俳句をやっている友人の提案ではじまり、その友人が主導して、ときに指導もします。近々、挙句になるので、そうしたらささやかな打ち上げをやろうという話が出ています。
麦の子(福岡県) (木曜日, 27 6月 2024 17:02)
きしゅうさま
こんにちは。気になっていながら多忙のため、書き込みが遅くなってしまいました。友人5人で「歌仙」をされているとのこと。風流ですね。
私も俳句をかじっていますが、毎月結社の雑誌に投稿してはいるのですが、勉強不足もあってなかなか上達しません。
その点、ハガキを使って5人で語句を仕上げていくという文学的「遊び」は羨ましいです。
「稲穂の黄金一面・・・」で思い出しましたが、我が故郷は秋は黄金の稲穂が、
そして麦秋の頃は、一面金色の麦畑が広がる穀倉地帯でした。現在でも電車でその黄金の絨毯の中を取り抜ける時には、昔から変わらぬ風景に目と心を奪われ、
喜びとワクワク感が止まりません。
高校生の頃の寒い冬の日、母と並んで麦踏みをした思い出がありますが、就職で実家を離れ、20数年後に帰省した時には、田植えもしたその広い農地がそっくり町営のグラウンドに変貌していて、びっくりしたことでした。
それからさらに30年ほど経ってしまいましたが、時代の流れを感じます。
きしゅう(栃木県) (火曜日, 11 6月 2024 20:18)
友人5人で「歌仙」という七七か、五七五で、あらかじめ決められた季語を入れて、はがきを通して語句を仕上げていく、やや文学的な遊びをやっています。
今日届いたはがきでは、私の前の人が「秋」の句として「稲穂の黄金一面・・・」と書いてきたので、五七五・秋担当の私はこう書きました。
「稲刈りもできぬ事態を霊嘆く」
(説明文:死してももう一つの世界に行ききれない霊がたくさんいることでしょう。生者と死者が働いて、食える社会を望み続けています。私たちはそれをどう受け止めるか。)
食が脅かされる社会は哀しすぎます。
きしゅう(栃木県) (木曜日, 23 5月 2024 15:13)
サブさま
丁寧に教えていただき、ありがとうございました。
わが家で以前使っていたのは、テーラーで、荷台を外してロータリー(うなう部分ですよね)をつけて畑や田をたがやしていたのだと思います。それを耕運機と思っていました。おっしゃるように紐で引っ張って、エンジンをかけるものでした。
わが家は、家に乾燥機を据えること、小ぶりの田植え機械を使うところまでは、農機具を供えて田畑をやっていました。トラクターが出はじめたころ、田を人に任せて、土地持ち非農家になりました。
庭にむしろを広げて籾を干していたころ、懐かしいです。こんな農法を知る人、だんだん少なくなっていくのでしょうね。
サブ (日曜日, 19 5月 2024 20:11)
きしゅう様
耕運機はロータリーが付いていて、主に畑や田を耕すのに使用します。ヤンマーやクボタから12~24馬力の範囲で出ていました。テーラーは荷台をつけて荷物を運ぶのが主流でしたがロータリーをつければ耕すのにも使えます。ロビンとかイセキから6~8馬力とやや小型です。テーラー主にガソリン使用、耕運機は軽油もしくは重油使用です。テーラーはひもをひきエンジンをかけますが、耕運機は手で回してかけます。私の知るところはこんなところです。
きしゅう(栃木県) (木曜日, 16 5月 2024 20:06)
サブさま
コメントをいただき、嬉しく思っています。
私も田植えのときなどの共同労働の思い出をもっています。親戚よりも近隣の方々が中心だったように思いますが、母が、10時休みの食べ物(中食とか何か、いい方があったように思います)を用意していたのを覚えています。アルコールはなかったのではないかと思います。苗も、今のようにハウスで箱に育てるのでなく、田圃で育て、とった苗を藁で縛って、田植えの際には、畑のふちに苗束を置き、田圃に投げて、それを植えていきました。私も田植えをしましたが、私のところだけ、曲がっていたのを覚えています。同じ幅でまっすぐに植えていくには修練が必要だったのですね。
ところで、私は高度成長の1960年代に子ども時代を過ごしました。最初に入ったモーター式(?)の農機具は耕運機で、それで田をうなっていたように思います。その耕運機は、後ろに荷台をつけて物を運ぶのにも使われ、それをテーラーと言ったように思っていたのですが、どうなのでしょう。もう、米俵でなく紙製の米袋に玄米を詰めるようになっていて、その米袋をテーラーに乗せて農協に父と母が運んだように思います。わが家は兼業農家で、母が小型特殊の運転免許を持っていたので、母が運転したようでした。
このテーラーのこと、私の記憶が間違っている可能性もあるので、どなたか、耕運機とテーラーのことを、ご存じでしたら、教えてほしいです。
サブ (木曜日, 16 5月 2024 03:52)
きしゅう様
拝読させていただき、同じ年代かなと感じました。そして、子どもの頃を思い出しました。田植えのシーズンになると、親戚が集まり朝早くからテーラーで代搔きを終えた田んぼに入り、一列に並んで苗を植えこみました。学校を休んだ私の仕事は、たろじと呼ばれ植え手の苗を補給する係でした。10時休みにはお酒が入り、スケベな話で盛り上がります。腰の痛みに耐え、二日間で植え終わると、その夜には早苗饗です。どんちゃん騒ぎで幕が閉じます。今行われている米作りは、乗用の田植え機に乗り、コンバインで刈り取りから脱穀まで済ませてしまいます。体は楽になりました。でも共同作業という楽しみがなくなってしまいました。機械化が進むことは良いことですが、失っていくものもあるのだと思います。
きしゅう(栃木県) (水曜日, 15 5月 2024 13:55)
私は農業は家庭菜園程度にしか行っていませんが、農業あるいは農民に、あるこだわりを持っています。農家で育ち、田植えも稲刈りの手で行っていた時代に、それらを含む農作業子どもとして経験しました。父も母も農家生まれの農家育ちです。
農民文学会は、今、農業をしているかどうかだけでなく(もちろんそれは大切ではありますが)、食を海外に頼っている現代の日本社会にとって、農業はどういうものか、農民はどういうものか、そんなことにも目を向けてほしいなあと考えます。
食は生きるうえで欠かせません。それを担うことはどういうことなのか。そう言ったことも掘り下げてほしいです。
また、こうして気軽に書き込めるコーナーを作っていただきましたことから、機関誌上に出てこない会員の方々の、素朴な、思い(短歌でもつぶやきでも)を、ここで知ることができるといいと思います。
私の今は亡き母は、忙しい農作業の合間に短歌を作っていました。今、母が元気でいたら、母の名前で、ここに母の短歌を投稿したいと思いますが、もうかないません。